豊臣秀吉や池田輝政などにより大規模な改修をされていった。その美しさ・巨大さは木造建築の最高峰とも言われています。
江戸時代には井伊家の居城となった平山城。天守が完成したのは1607年頃と考えられている。
大天守・乾小天守・渡櫓は石川数正・康長父子により1593年頃に建造されたと言われる。
織田信長の叔父である信康が築城を開始。天守の下半分は1537年または1601年に、上半分は1620年頃に増築したものと考えられている。
1611年に出雲松江藩の初代藩主・堀尾忠氏により築城。以後松前藩の政治の中心地となった。
標高430mの臥牛山(がぎゅうさん)の山頂付近にある山城。現存天守では最も標高が高く、日本三大山城の一つに数えられる。備後福山藩2代藩主・水谷勝宗が1681年~頃に造営したと考えられる。
安土桃山時代に建造されたと推定される天守は、現存する最古の天守閣と言われます。
江戸時代には土佐藩の藩庁が置かれた城。1727年に大火で焼失し、現在の天守は1749年に再建されたもの。
勝山(標高132m)にあり、賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いで有名な豊臣の七本槍の1人・加藤嘉明(よしあき)が築いた城郭。
桜で有名な弘前公園にあるお城。津軽氏が居城。1627年の落雷により天守を焼失、1810年に櫓という名目で建て直されました。
1597年に生駒親正が高松城を本城とし、亀山に支城を築く。総高60mの石垣も圧巻。
築城名人と謳われた藤堂高虎により1601年に築かれた城郭。1662年に宇和島藩2代藩主・伊達宗利により改修された。