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萩の偉人達

萩は江戸時代に長州藩36万石の城下町として栄え、幕末・明治の動乱期には多くの偉人を輩出した町。 更新日:2015年10月01日

吉田松陰

吉田松陰(1830年~1859年)。松下村塾では木戸孝充、山県有朋、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文などの多くの偉人に教えた教育者。

吉田松陰(1830年~1859年)。松下村塾では木戸孝充、山県有朋、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文などの多くの偉人に教えた教育者。

吉田松陰は江戸で佐久間象山から学びます。象山の門弟には吉田松陰、小林虎三郎、勝海舟、坂本龍馬などがいます。
吉田松陰誕生地・墓所 吉田松陰誕生地・墓所

長州藩士・杉百合之助の次男として生まれます。当時の建物はないが、遺構として敷石が残るほか、隣接して吉田松陰の墓地もあります。

玉木文之進旧宅 玉木文之進旧宅

吉田松陰の叔父であり松下村塾(1842年)の創立者・玉木文之進の家。吉田松陰は玉木文之進からスパルタ教育を受けたと言われています。

野山獄 野山獄

1854年、黒船に乗って海外密航しようとして失敗した吉田松陰が入獄された牢獄跡。その後に松下村塾を引き継いだ(1857年)。

松陰神社

明治40年に松下村塾出身の伊藤博文らが神社創建を請願し建てられた神社。境内には松下村塾、吉田松陰幽囚ノ旧宅などがあります。

松下村塾 松下村塾

吉田松陰の叔父の玉木文之進が1842年に設立し私塾。吉田松陰が講義をしていた私塾。身分の隔てなく入塾でき、小さな私塾ながらも総理大臣を2人、大臣を4人、県知事を4人輩出した。

木戸孝充、前原一誠、山県有朋、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、品川弥二郎、山田顕義など、多くの志士が松下村塾で学んだ。

木戸孝允(桂小五郎)

木戸孝允(1833年-1877年)。萩藩医の和田昌景の長男として生まれ、桂家(近隣の藩士)の養子となった。幕末には薩長同盟の締結、維新後は五箇条の御誓文、廃藩置県、四民平等、憲法制定、三権分立の確立などを提言し明治政府を支えた。

木戸孝允(1833年-1877年)。萩藩医の和田昌景の長男として生まれ、桂家(近隣の藩士)の養子となった。幕末には薩長同盟の締結、維新後は五箇条の御誓文、廃藩置県、四民平等、憲法制定、三権分立の確立などを提言し明治政府を支えた。

木戸孝允旧宅 木戸孝允旧宅

木戸孝允(桂小五郎)が生まれてから江戸へ旅立つまでの約20年間を過ごした家。

旧萩藩校明倫館 旧萩藩校明倫館

松下村塾の門下生ではなかったが、藩校・明倫館で吉田松陰に兵学を学んだ。

山県有朋

山県有朋(1838年~1922年)。久坂玄瑞の紹介で松下村塾で学び、高杉晋作が創設した奇兵隊にて頭角を現す。明治では日本陸軍を建設し「国軍の父」とも言われる。

山県有朋(1838年~1922年)。久坂玄瑞の紹介で松下村塾で学び、高杉晋作が創設した奇兵隊にて頭角を現す。明治では日本陸軍を建設し「国軍の父」とも言われる。

内務大臣(初・第2・第3代)、内閣総理大臣(第3・9代)、司法大臣(第7代)などを歴任。
山縣有朋誕生地 山縣有朋誕生地

山県有朋は萩の川島地区にて生まれる。現在はその場所に石碑が建てられています。

高杉晋作

高杉晋作(1839年~1867年)は、高杉小忠太の長男として生まれ、藩校・明倫館に通いながら、松下村塾でも学んだ。尊王攘夷の志士として活躍し奇兵隊の創設など倒幕に貢献。肺結核のため29歳の若さで亡くなった。

高杉晋作(1839年~1867年)は、高杉小忠太の長男として生まれ、藩校・明倫館に通いながら、松下村塾でも学んだ。尊王攘夷の志士として活躍し奇兵隊の創設など倒幕に貢献。肺結核のため29歳の若さで亡くなった。

尊王攘夷(そんのうじょうい)とは、天皇を尊び、外国人を排斥する思想。
高杉晋作誕生地 高杉晋作誕生地

藩の要職を務めてきた名家。現在は1/3程度に縮小されているが、晋作ゆかりの品などを見る事ができる。

久坂玄瑞

久坂玄瑞(1840年~1864年)。高杉晋作らと共に松下村塾で学び、18歳のときに吉田松陰の妹・文(ふみ)と結婚。蛤御門の変で25歳の若さで亡くなった。

久坂玄瑞(1840年~1864年)。高杉晋作らと共に松下村塾で学び、18歳のときに吉田松陰の妹・文(ふみ)と結婚。蛤御門の変で25歳の若さで亡くなった。

久坂玄瑞誕生地 久坂玄瑞誕生地

萩の平安古にある久坂玄瑞の旧宅跡。現在は石碑が建てられています。

伊藤博文

伊藤 博文(1841年~1909年)は、松下村塾で学び、倒幕運動に参加。初代・第5代・第7代・第10代の内閣総理大臣などを歴任。1909年にハルビンで朝鮮民族主義活動家に暗殺された。

伊藤 博文(1841年~1909年)は、松下村塾で学び、倒幕運動に参加。初代・第5代・第7代・第10代の内閣総理大臣などを歴任。1909年にハルビンで朝鮮民族主義活動家に暗殺された。

伊藤博文旧宅・別邸 伊藤博文旧宅・別邸

伊藤博文が14歳の頃から一家で居住。伊藤博文が28歳までの14年間暮らした。

別邸@伊藤博文旧宅・別邸 別邸@伊藤博文旧宅・別邸

隣接して東京都品川区に建てた別邸が移築されています。

渡辺蒿蔵(天野清三郎)

渡辺蒿蔵(1843年~1939年)。松下村塾で学ぶ。アメリカ・イギリスに留学し造船学を学ぶ。帰国後には長崎造船所所長などを務めた。

渡辺蒿蔵(1843年~1939年)。松下村塾で学ぶ。アメリカ・イギリスに留学し造船学を学ぶ。帰国後には長崎造船所所長などを務めた。

渡辺蒿蔵旧宅 渡辺蒿蔵旧宅

49歳で逓信省を退職後に建てられた建物。

桂太郎

桂太郎(1848年~1913年)。萩の平安古にて、萩藩士・桂與一右衛門の嫡男として生まれる。ドイツに留学後に陸軍に入隊。内閣総理大臣を3度(第11・13・15代)務めた人物。拓殖大学の前身台湾協会学校の創立者。

桂太郎(1848年~1913年)。萩の平安古にて、萩藩士・桂與一右衛門の嫡男として生まれる。ドイツに留学後に陸軍に入隊。内閣総理大臣を3度(第11・13・15代)務めた人物。拓殖大学の前身台湾協会学校の創立者。

桂太郎旧宅 桂太郎旧宅

桂太郎は萩の平安子に生まれ、3歳の時に萩の川島に移り住んだ。この旧宅は晩年の明治42年に新築されたもの。

田中義一

田中義一(1864年~1929年)。萩藩士・田中信祐の三男として誕生し、陸軍大臣、内閣総理大臣(第26代)、外務大臣(第42代)などを歴任。

田中義一(1864年~1929年)。萩藩士・田中信祐の三男として誕生し、陸軍大臣、内閣総理大臣(第26代)、外務大臣(第42代)などを歴任。

旧田中別邸 旧田中別邸

萩にて夏みかんの栽培を奨励した小幡高政の住居として使用されていた建物。大正になり田中義一が所有し増改築が行われていった。