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徳川家康の居城めぐり

現在の愛知県岡崎市に生まれた徳川家康。幼少の頃は今川家の人質になり、困難を乗り越え、豊臣秀吉の命で未開拓であった江戸に移封され、ついには江戸で幕府を開くまでになりました。 更新日:2015年10月01日

岡崎城


岡崎城 岡崎城

徳川家康の誕生(1543年)した城。家康が6歳の頃、駿河国の今川氏に従属し今川氏へ人質として駿府へ送られることとなった。

岡崎城の春

現在は岡崎公園として整備され、桜の名所となっています。

田原城

今川氏の人質として駿府へ送られる予定だったが、道中の田原城で裏切りにあい、敵対していた織田氏へと送られた。その後、今川義元が人質として捉えた織田信広との人質交換により家康は今川家に取り戻され、現在の駿府城公園の位置にあった今川氏の館・駿府館で過ごす事となった。

大樹寺

1560年の桶狭間の戦いで今川軍が敗れ、配下で戦っていた家康は大高城から大樹寺に逃げ込み自害しようとしたと言われています。その後、今川家とは決別し岡崎城を取り戻します。

浜松城

浜松城

1570年に武田信玄の侵攻に備えるため本拠地を浜松へと移し、岡崎城は嫡男・信康に譲られた。

当時の地名・曳馬という名称が縁起が悪いことから、この地にあった荘園・浜松荘に因んで城名・地名が「浜松」と改められた。

江戸城

江戸城(皇居)

徳川家康は、駿府の武田氏を追放し1585年には駿府城の築城を開始。浜松城から駿府へと移るが1590年に豊臣秀吉により関東に移封された。

室町時代・太田道灌が築城した城。徳川家が拡張していき、明治以降は天皇の住まい・皇居として利用されるようになりました。本丸・二の丸・三の丸部分は、皇居東御苑として一般開放もされてます。

二条城

二条城 二条城

徳川家康が京に滞在中の宿所として築城。1603年に入城しその2年後には息子の2代将軍秀忠が踏襲した。

徳川家康の将軍宣下に伴う賀儀で始まり、徳川慶喜の大政奉還で終焉したことから、徳川幕府の始まりと終わりの場所とも言われています。 

駿府城

駿府城 駿府城

1605年に征夷大将軍職を秀忠へ譲り、1607年に駿府城に隠居。1616年に75歳でここで死去しました。建物は1635年の火災で大半の建物が消失。現在は公園として整備されています。

家康が幼少の頃人質となっていた今川家の館・駿府館は武田信玄の駿河侵攻、徳川家康の侵攻により焼失。家康はその跡地に駿府城を建てました。