黒田官兵衛は、豊臣秀吉の側近として活躍した軍師。その天才的知略から、ついには豊臣秀吉にもおそれられたと言われています。
福岡の名前の由来は黒田家ゆかりの地である備前国邑久郡福岡(岡山県瀬戸内市長船町)です。ちなみに黒田官兵衛の生まれは姫路です。
博多
豊臣秀吉に博多復興を命じられ、太閤町割と言われる整備を行ったのが始まり、関ヶ原の合戦後に、黒田長政とともに入国し、福岡の町づくりが行われていきました。
福岡城跡
関ヶ原の戦いの後、黒田官兵衛の子・黒田長政が築城した城郭。
牡丹・芍薬園
黒田官兵衛は福岡城の三の丸に「御鷹屋敷」と呼ばれる住居を構えます。現在は牡丹・芍薬園」となっています。
福岡藩主黒田家墓所
黒田官兵衛、初代藩主・長政、4代・綱政、6代・継高、7代・治之、9代・斉隆が眠っています。
光雲神社
福岡城跡から1kmほど離れた西公園にある神社。黒田官兵衛と長政の父子が祀られています。
西公園・桜
ちなみに西公園は「日本さくら名所100選」に選ばれています。
東長寺
福岡藩2代藩主・忠之、3代・光之、8代・治高が眠る。
福岡市博物館
織田信長から与えられた刀「へし切長谷部」、北条氏から贈られた名刀「日光一文字」、天下三名槍と呼ばれた大槍「日本号」など黒田家ゆかりの品々を多く所蔵。
日本号
天下三名槍と呼ばれた槍の1つ。黒田官兵衛の家臣・母里友信が福島正則より貰い受けた。
太宰府
太宰府天満宮
福岡城が完成するまでの間、太宰府天満宮の境内に隠棲し、戦火で荒廃していた太宰府天満宮の復興に尽力していた。