江戸幕府の老中・大久保忠朝の屋敷内の庭園が起源。明治になり、有栖川宮熾仁親王邸を経て宮内庁の管理となり、1924年(大正13年)に昭和天皇の御成婚を記念し東京市に下賜され一般開放された。
将軍家の鷹狩場であった芦原に甲府藩主・松平綱重が海を埋め立て別邸を建てたことが始まり。綱重の子・家宣が江戸幕府第6代将軍になり将軍系の別邸・浜御殿と改められ、歴代将軍により改修が行われていった。明治時代には皇室の離宮・浜離宮となり、戦後に一般開放されるようになった。
江戸幕府三代将軍・徳川家光が江戸城の鬼門(北東)封じのために寛永寺を建立したのが始まり。幕末の戊辰戦争で寛永寺は焼失。1873年(明治6年)に公園として開園。明治には宮内省の管轄に置かれ、後に東京市に払い下げられた。
東京の花見宴会の代表的な公園。博物館・美術館・動物園などが集まっています。
吉祥寺のシンボル的な公園。江戸時代には幕府御用林、明治22年に宮内省御用林となっていた地。帝室御料地から東京市に下賜され1917年に開園。
南麻布にある区立公園。江戸時代は盛岡南部藩の下屋敷として使われ、1896年には有栖川宮家の所有となった。1913年(大正2年)に有栖川家は断絶し、20年目の命日・1934年(昭和9年)に東京市に賜与され、記念公園として一般開放されるようになった。
江戸時代は徳川家康の家臣・内藤清成の屋敷の一部だった地。明治になり政府の農業実験所「内藤新宿試験場」を経て宮内省所管「新宿植物御苑」となり皇室の御料地・農園として運営され、戦後に国民公園として一般開放された。
皇居の東側に位置する旧江戸城の本丸、二の丸、三の丸に当たる場所。1968年より一般開放された。
歴代天皇が居住・公務をしていた京都御所の周囲に広がる場所。明治まで宮家や公家が暮らしていた場所。明治天皇が東京に移るのに伴い、この地にあった公家屋敷を撤去し整備したのが始まり。