勝幡城
織田信長は1534年、勝幡城(しょばたじょう)で生まれたと考えられています。*那古野城説もあります。
現在は石碑があるのみで当時の面影はありませんが、愛知県愛西市勝幡町と稲沢市平和町に跨って存在していたと考えられています。
那古野城
現在の名古屋城の二の丸付近にあった城。1532年に織田信長の父・信秀が今川氏豊を滅ぼし、勝幡城から居城を移しました。
信長の父・信秀は信長が2歳の時に那古野城を与えています。
清洲城
清洲城
1555年に織田信長と織田信光の共謀により守護代の織田信友は殺害され、信長は織田家の当主となり清洲城へ移り住みます。
小牧山城
1560年6月12日の桶狭間の戦いで今川義元に勝利し、美濃攻略のために小牧山城の築城を開始します。1562年には清須城において徳川家康と清洲同盟を結び、1563年に居城を清洲城から小牧山城に移し、美濃攻略への足掛かりを整えていきます。
小牧山城は信長が築いた初めての城です。
岐阜城
かつての斎藤道三の居城。道三は信長の義理の父にあたり、道三の死後は信長と斎藤家は険悪になっていったと言われています。
1567年、斎藤道三の孫にあたる斎藤龍興が籠る稲葉山城を落城させる(稲葉山城の戦い)。この城に移住し岐阜城と改めました。
岐阜城
金華山(稲葉山)の山頂に建てられた難攻不落の山城。美濃を制すものは天下を制すとも謳われた。
この時、天下布武の朱印を用いるなど、天下統一を目指すようになったと言われています。
安土城
岐阜城にかわる居城として1576年に琵琶湖湖岸に築城開始。1579年に天守に移り住んだと言われており、1582年6月21日の本能寺の変の後に焼失します。
安土城跡
現在は石垣などの一部の遺構が残る。
VR安土城シアター ダイジェスト
安土城を3Dで復元するVR安土城プロジェクト
ちなみに織田信長は高層建築物に住んだ初の日本人とも言われています。