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報恩寺・五百羅漢

五百羅漢 この報恩寺を含む北山一帯は石川啄木がまだ盛岡中学にあって文学に親しみはじめたころ、好んで吟行の杖をひいたところである。・・・ ここにある「古刹」とは報恩寺また、「寒寺」とあるのは、啄木が育った故郷渋民の宝徳寺のことであり、この詩の生まれたのは明治36年2月16日夜のことで、啄木18歳の早春である。この詩の最後の章は次のようなものであった。 無垢の百蓮、蔓陀羅華、 靄と香を吹き霊の座をめぐると聞ける西の方、 涙のごひて眺むれば、澄みたる空に秋の雲 今か黄金の色流し、空廊百代の夢深き 伽籃一夕風もなく俄かに壊れほろぶ如、 或は天授の爪ぶりに一生の希み奏で了へし 巨人終焉に入る如く、暗の戦呼をあとに見て、 光の幕を引き納め、暮暉天路に沈みたり。