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海蔵寺

説明

まろもんず    1820 Views

鎌倉時代、七堂伽藍を持つ規模の大きい寺があったと伝えられますが、鎌倉幕府滅亡時に焼失し、 その後、応永元年(一三九四)に鎌倉公方足利氏満の命で、上杉氏定が心昭空外を招いて再建され、扇ガ谷上杉氏の保護を受けて栄えました。この寺には多くの言い伝えがあります。空外は「那須の殺生石」の話で有名です。仏殿の薬師如来坐像は「啼薬師」、「児護薬師」といわれ、胎内に仏面を収めており、 啼薬師伝説があります。 門前には、「千代能が いただく桶の 底脱けて 水たまらねば 月もやどらじ」と歌われたと伝えられる「底脱の井」や鎌倉時代の遺跡である「十六の井」もあり、水の寺といわれています。