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- 織田信長は近江における宿所を三井寺光浄院にしていたと言われる。
- 「観音堂」のある高台よりさらに上った「大津そろばんの碑」のある高台からの景色が最高です。
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安土城天主信長の館では、 安土城 の最上部5・6階部分を原寸大で復元したものが見られる。これは1992年のセビリア万国博覧会に出展されたもので万博終了後にここに展示されるようになった。
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織田信長が最後に居城としていた「安土城(あづちじょう)」。当時は琵琶湖東岸に接し絢爛豪華な城であったと伝わる。しかし1582年の本能寺の変の後まもなくして焼失し廃城となる。現在は石垣などの一部の遺構が...
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總見寺(そうけんじ)は、安土城跡にある寺院。安土城築城(1576年)の際に建立されたと言われる。三重塔(1454年建立・移築)、二王門(1571年建立)などが重要文化財に指定されている。
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延暦寺(えんりゃくじ)は、平安時代に天台宗の開祖である最澄(767-822年)により開かれ、宗教の総合大学的な性格ももちあわせていたといわれており、法然(浄土宗の開祖)、親鸞(浄土真宗の開祖)、日蓮(...
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セミナリヨは、1581年に織田信長から土地を賜り、イエズス会宣教師・オルガンチノが創建した日本最初のキリシタン神学校。三階建の豪華壮麗な建物だったと言われ、織田信長も立ち寄りオルガンの演奏を聞いていた...
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- 1570年に勃発した、浅井・朝倉軍約2万と織田・徳川軍約3万の戦い。
- 織田信長はこの戦いの翌年に浅井・朝倉を支持する比叡山を焼き討ち。