安土桃山時代
現在見られるような城郭となる以前の頃は、天才軍師・黒田官兵衛(如水)が城代を務めていたことで知られる。1580年に豊臣秀吉に本拠地として姫路城に居城するよう進言し城を献上した。この2年後の1582年6月21日に本能寺の変がおこり、豊臣秀吉が天下を手中にしたことから「出世城」ともいわれる。
江戸時代
1600年の関ヶ原の戦いの後、池田輝政が播磨52万石でこの姫路城に入城した。豊臣側の大名の多い西国を牽制するため1601年から8年がかりの大改修が行われ、そして江戸時代には姫路藩の藩庁として使用されるようになった。
第二次世界大戦
姫路は軍需産業の拠点でもあったため、白壁の目立つ姫路城は主要な部分を黒い網などで覆い隠すなどした。1945年7月3日の姫路空襲では、焼失家屋は総戸数の約40%に達するほどであったが、空襲が終わった翌朝、無事に建つ姫路城を見て瓦礫だらけの町のあちこちからどよめきがおこったという。
世界遺産
1993年に以下の点が評価され、世界遺産に登録された。
- 木造建築物として建物の容積と配置が絶妙にバランスが取られ、白漆喰の城壁を持つ優れた美をもっている。
- 明治以前の封建制度の象徴である。
- 日本の木造建造物として最高のものである。
姫路城の白さの秘密
古くから白鷺城とも言われる姫路城。通常の城は外壁に風雨除けのため黒い板が貼られたりするが、姫路城の外壁は白漆喰(石灰が主成分)で、火事除け等のため木は貼られていなかったと言われている。逆に
松本城(長野県)は城の大部分に黒い板が貼られている。
現存する天守
姫路城は江戸時代以前に建造された天守で現代に残っている12城のうちの1つ。
弘前城、
松本城、
丸岡城、
犬山城、
彦根城、
姫路城、
松江城、
備中松山城、
丸亀城、
松山城、
宇和島城、
高知城
国宝の天守閣
姫路城、
犬山城、
松本城(長野県)、
彦根城