浅草寺の山門。左側に雷神、右側に風神が安置されている。正式には「風雷神門」と言う。1865年に焼失したが1960年(昭和35年)に再建された。実業家・松下幸之助が浅草観音に祈願して病気平癒した報恩のために寄進した。
雷門から宝蔵門に至る表参道。土産、団子、菓子などを売る商店が軒を連ねる。
仲見世通りを過ぎ宝蔵門へ向かう途中には、浅草寺の縁起が絵で描かれています。
二天門(重要文化財)。本堂の東側にある門。かつて境内にあった東照宮の随身門として1649年頃に建立された。
仲見世通りを抜けた先にある2階建ての門。門の左右に金剛力士(仁王)像があり、左の阿形像(あぎょう-)は北の湖(力士)を、右の吽形像(うんぎょう-)は明武谷(力士)をモデルにしているといわれる。また門の背面には、魔除けの巨大なわらじが吊り下げられている。
2F部分には浅草寺の宝物などが収蔵されているため宝蔵門と言う。古くは942年に建立され、現在見られる門は太平洋戦争後の1964年(昭和39年)に再建されたもの。
宝蔵門の左側にある阿形像は北の湖(力士)、右側にある吽形像は明武谷(力士)がモデルと言われている。
宝蔵門の裏側にある大わらじ。高さは4.5m・重さ500kg。「この大わらじを履く者がこの寺を守っているのか」と驚き魔が去っていくとされています。
厄除け、開運、虫封じにご利益があると言われています。
手水鉢の上には沙竭羅龍王像(さから-)が祀られており、天井には墨絵の龍(画・東 韻光)が描かれています。
お水舎の天井絵
本堂の前にはもくもくと煙がたっています。この煙は痛いところにあてると治るといわれています。
本尊の聖観音像(非公開)を安置する。本建物は1945年の東京大空襲で焼失し1958年(昭和33年)に再建されたもの。天井には「龍の図(作:川端龍子)」「天人散華の図(作:堂本印象)」が描かれている。
左右には「天人之図(画・堂本印象)」、中央には「龍之図(画・川端龍子)」が描かれています。
御宮殿(ごくうでん)。本尊の聖観世音菩薩(秘仏)、慈覚大師作のお前立ご本尊(12月13日開扉)。徳川家康、徳川家光などの護持仏であった観音像が奉安されています。
日没~午後11時頃までライトアップされています。
浅草の縁結びの神様。
小田原北条氏の信仰が篤かった老女弁財天が祀られています。
松尾芭蕉の句「花の雲 鐘は上野か 浅草か」と詠まれた鐘。現在でも毎朝6時に鳴らされます。
源頼朝が挿した枝から発芽したと伝わる、樹齢800年ともいわれるイチョウ。太平洋戦争の戦火を潜り抜けた
1761年に建立され、1907年に再建された。「この塔にお参りする者は、計り知れない功徳を得るという。」と浅草寺のHPに紹介されています。
高さ約50mの五重塔。古くは942年に建立されたと言われ、1945年の東京大空襲で焼失し1973年(昭和48年)に再建された。塔の最上層にはイスルムニア王立寺院(スリランカ)から贈られた仏舎利(釈迦の遺灰)が安置されている。
願い事一つだけ祈願すると、その願いが叶うと言われています。
毎年2月8日には「針供養」が営まれる。
太平洋戦争中にに、ご本尊様をこの桶に入れ、地中深くに納め、ご本尊様を守った。
浅草寺にあった東照宮に架設(1618年)された石橋。都内で現存する最古の石橋。
影向堂(ようごうどう)。観音様に協力している仏様方を「影向衆」と呼び。これらの影向衆を祀っています。
室町時代に建立されたといわれる都内最古の木造建造物。日限地蔵尊が祀られています。
季節限定で公開される庭園。
三社祭で有名な神社。浅草寺の本尊・聖観音像を見つけた檜前浜成・竹成の兄弟と、浅草寺を造った土師真中知の3人を祭神として祀ることから「三社権現」ともいわれ、毎年5月には三社祭が催される。
飯田屋
芋ようかん・舟和
秋月
浅草メンチ
花月堂