見所
日露戦争
日露戦争時(1904年~1905年)には、最新の軍艦を揃えた連合艦隊の旗艦となり、東郷平八郎が連合艦隊司令長官となった。ロシア海軍バルチック艦隊と交戦した日本海海戦(1905年)では、丁字戦法・東郷ターンと呼ばれる作戦で、世界最強と謳われたバルチック艦隊を撃滅し、ロシア海軍の戦力の大半を失わせ、世界を震撼させた。
ワシントン軍縮条約
第一次世界大戦終結後のワシントン軍縮条約(1922年)により、日・米・英の艦艇保有隻数が制限されるとともに、艦齢の古い「三笠」の廃棄が決定的であったが、日本海海戦の功績等から保存運動が国内外で高まり、記念艦としての保存が決定した。
保存
芝浦(東京)に保存される予定だったが、横須賀港に係留中に関東大震災(1923年)が起こり、岸壁に衝突し浸水が生じたため、横須賀に保存されることとなった。
第二次世界大戦終後
第二次世界大戦終後に、ソ連は記念艦・三笠を解体するよう要求したが、艦橋、大砲、煙突ど撤去することを条件として、継続して保存することとなった。
荒廃と復元
艦上は米軍人のためのダンスホールや水族館などの娯楽施設が設置されていたが。東郷平八郎を敬愛していた米海軍のチェスター・ニミッツ元帥はこれを知ると激怒したという。また物資不足により金属類や甲板などが剥がされるなどしたが、イギリス人のジョン・S・ルービンが「ジャパンタイムズ」に投書して反響を呼ぶなどした。