伏見桃山城を出て南側に明治天皇陵に入れる道があります。治部池を越えた辺りの柵の向こうが石田三成の屋敷跡地になります。直ぐ隣が伏見城の大手門があった所で、如何に良い所に屋敷を構えていたか?理解出来ると思います
史実に残るのが伏見城、現在目にするのが伏見桃山城。使い分けがあります。実は前田玄以の邸宅跡地に建てられてます。実際には「模擬天守」と呼ばれます。昭和のコンクリート製なんですが、例の耐震強度問題により現在は非公開です。
伏見城の大手門だったと伝わる御香宮神社の表門。 この門も大きくて立派ですが,本殿も慶長10年に建てられた由緒あるものだそうです。「御香水」という昔から名の知れた井戸水もあります。 この日はお宮参りの方々でにぎわいを見せておりました。
ブラタモリ「伏見は交通の要衝!」伏見城の天守閣から京都、大阪、奈良を一望できる。「地理院地図」で測定。京都タワーへ 5.78km、大阪城へ 36.48km、平城京へ 28.77km。さすが秀吉、3都を望む地に伏見城を作れり。
ブラタモリ・伏見編。巨大な伏見城の北堀と、巨椋池の太閤堤。スーパー地形アプリ使用。
ブラタモリを見て伏見城下MAPに「真田丸」登場武将をあてはめてみた。 清正と吉継は地図に名前がなかったんだけど、清正は伏見の役所の西、吉継は伏見城の北の丘、とあったのでそのあたりに。 屋敷複数は考慮外で。
( ・ω・)以前撮った伏見城。地元では桃山城で通ってる城。前はキャッスルランドという遊園地があったり波の出るプールがあったりと活気づいてたなぁ。
伏見は秀吉の時代と幕末明治維新と盛り沢山よ。一日かけて歩くと楽しい街よ。(京阪電車の宇治伏見フリー切符が便利ですよ)指月城は今、桃山御陵に。とっても神秘的。
京都駅からの伏見城天守閣
今、ブラタモリを見た。 小さな自慢。今では登れない伏見城天守からの写真を二葉。鯱と小天守
御香宮神社の表門はもと伏見城の大手門だったといわれ、重要文化財に指定されています。 また、その近くにある源空寺の二重の山門も伏見城の遺構だといわれています。
たしかに秀吉は土木工事好きだよなぁ。墨俣、備中高松、小田原一夜城、大阪、そして伏見か
伏見城、すさまじく深くて広い北堀。堀と武者走を利用して作られた5連すべり台も!
伏見城の堀の巨大さも驚くが、京都の御土居の巨大さも素晴らしい!さすが土木デベロッパー「豊臣建設」!
桃山御陵の参道脇には伏見城石垣の残石が置かれています。 矢穴痕や刻印のある石がありました。
豊臣秀吉すごいな…聚楽第、大阪城そして伏見城と城を作ってるんだからな…
伏見北堀公園はその名の通り城の外堀を活用した公園で、堀底に広場やテニスコート、池などが整備されています。 堀の斜面を利用したと思われる滑り台はとても興味深かったです。
伏見城周囲の地形図。堀もよくわかる。
ブラタモリ「京都・伏見」伏見は"日本の首都"だった 秀吉の"首都の城"が伏見城 本丸跡は「明治天皇陵の一部」 天守閣からは「大坂、京都、奈良を一望できる」
かつての伏見城本丸は明治天皇陵になってるのか
伏見城の裏にあんな公園(お堀)があったのか^o^;知らなかった!
今日は伏見城へ行ってきました。御花畑山荘という曲輪があった場所に立派な模擬天守が建っていました。 その曲輪は江戸時代前期に既に廃城となっていた城の絵図を集めた『諸国古城之図』では描かれていないので、途中で放棄されたのかもしれません。
京都駅から伏見城までのタクシー料金おいておきますね。伏見城は駅から離れているので電車で行くにはちょいと遠いです。
え⁉︎今の伏見城って元々遊園地のシンボルだっただけなの? 何か悲しいわ
今日放送のブラタモリは伏見城ってことで行ってきた。なか公開してないのが残念
伏見城の残石だそうな
遊園地キャッスルランドの跡地に建つ伏見桃山城。いわゆる伏見城とは場所も違う別物だけど、まぁ雰囲気だけw そう言えば指月伏見城の跡が見つかったって騒いでなかったっけ?どうなったんだろ?
京都は大地震など起こったことがないのかと思っていたが、伏見城が倒壊するほどの大地震(1596)が起きているのですね。タクシーの運転手に教えられた。
【秀吉の最期】自分の死が近いことを悟った秀吉は7月4日に居城である伏見城に徳川家康ら諸大名を呼び寄せて家康に対して子の秀頼の後見人になるようにと依頼した。8月5日秀吉は遺言書を記し8月18日その生涯を終えた。死因については現在も不明である。
徳川家光、伏見城で征夷大将軍の宣下を受ける。1623年(元和9年)-江戸
伏見城の東側。この辺りに黒田家の屋敷があったはず。如水はこの屋敷で息を引き取った、とも言われている。
伏見桃山城を出て南側に明治天皇陵に入れる道があります。治部池を越えた辺りの柵の向こうが石田三成の屋敷跡地になります。直ぐ隣が伏見城の大手門があった所で、如何に良い所に屋敷を構えていたか?理解出来ると思います
史実に残るのが伏見城、現在目にするのが伏見桃山城。使い分けがあります。実は前田玄以の邸宅跡地に建てられてます。実際には「模擬天守」と呼ばれます。昭和のコンクリート製なんですが、例の耐震強度問題により現在は非公開です。
伏見城の大手門だったと伝わる御香宮神社の表門。 この門も大きくて立派ですが,本殿も慶長10年に建てられた由緒あるものだそうです。「御香水」という昔から名の知れた井戸水もあります。 この日はお宮参りの方々でにぎわいを見せておりました。
ブラタモリ「伏見は交通の要衝!」伏見城の天守閣から京都、大阪、奈良を一望できる。「地理院地図」で測定。京都タワーへ 5.78km、大阪城へ 36.48km、平城京へ 28.77km。さすが秀吉、3都を望む地に伏見城を作れり。
ブラタモリ・伏見編。巨大な伏見城の北堀と、巨椋池の太閤堤。スーパー地形アプリ使用。
ブラタモリを見て伏見城下MAPに「真田丸」登場武将をあてはめてみた。 清正と吉継は地図に名前がなかったんだけど、清正は伏見の役所の西、吉継は伏見城の北の丘、とあったのでそのあたりに。 屋敷複数は考慮外で。
( ・ω・)以前撮った伏見城。地元では桃山城で通ってる城。前はキャッスルランドという遊園地があったり波の出るプールがあったりと活気づいてたなぁ。
伏見は秀吉の時代と幕末明治維新と盛り沢山よ。一日かけて歩くと楽しい街よ。(京阪電車の宇治伏見フリー切符が便利ですよ)指月城は今、桃山御陵に。とっても神秘的。
京都駅からの伏見城天守閣
今、ブラタモリを見た。 小さな自慢。今では登れない伏見城天守からの写真を二葉。鯱と小天守
御香宮神社の表門はもと伏見城の大手門だったといわれ、重要文化財に指定されています。 また、その近くにある源空寺の二重の山門も伏見城の遺構だといわれています。
たしかに秀吉は土木工事好きだよなぁ。墨俣、備中高松、小田原一夜城、大阪、そして伏見か
伏見城、すさまじく深くて広い北堀。堀と武者走を利用して作られた5連すべり台も!
伏見城の堀の巨大さも驚くが、京都の御土居の巨大さも素晴らしい!さすが土木デベロッパー「豊臣建設」!
桃山御陵の参道脇には伏見城石垣の残石が置かれています。 矢穴痕や刻印のある石がありました。
豊臣秀吉すごいな…聚楽第、大阪城そして伏見城と城を作ってるんだからな…
伏見北堀公園はその名の通り城の外堀を活用した公園で、堀底に広場やテニスコート、池などが整備されています。 堀の斜面を利用したと思われる滑り台はとても興味深かったです。
伏見城周囲の地形図。堀もよくわかる。
ブラタモリ「京都・伏見」伏見は"日本の首都"だった 秀吉の"首都の城"が伏見城 本丸跡は「明治天皇陵の一部」 天守閣からは「大坂、京都、奈良を一望できる」
かつての伏見城本丸は明治天皇陵になってるのか
伏見城の裏にあんな公園(お堀)があったのか^o^;知らなかった!
今日は伏見城へ行ってきました。御花畑山荘という曲輪があった場所に立派な模擬天守が建っていました。 その曲輪は江戸時代前期に既に廃城となっていた城の絵図を集めた『諸国古城之図』では描かれていないので、途中で放棄されたのかもしれません。
京都駅から伏見城までのタクシー料金おいておきますね。伏見城は駅から離れているので電車で行くにはちょいと遠いです。
え⁉︎今の伏見城って元々遊園地のシンボルだっただけなの? 何か悲しいわ
今日放送のブラタモリは伏見城ってことで行ってきた。なか公開してないのが残念
伏見城の残石だそうな
遊園地キャッスルランドの跡地に建つ伏見桃山城。いわゆる伏見城とは場所も違う別物だけど、まぁ雰囲気だけw そう言えば指月伏見城の跡が見つかったって騒いでなかったっけ?どうなったんだろ?
京都は大地震など起こったことがないのかと思っていたが、伏見城が倒壊するほどの大地震(1596)が起きているのですね。タクシーの運転手に教えられた。
【秀吉の最期】自分の死が近いことを悟った秀吉は7月4日に居城である伏見城に徳川家康ら諸大名を呼び寄せて家康に対して子の秀頼の後見人になるようにと依頼した。8月5日秀吉は遺言書を記し8月18日その生涯を終えた。死因については現在も不明である。
徳川家光、伏見城で征夷大将軍の宣下を受ける。1623年(元和9年)-江戸
伏見城の東側。この辺りに黒田家の屋敷があったはず。如水はこの屋敷で息を引き取った、とも言われている。