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有岡城跡(伊丹城)

有岡城(伊丹城)は、南北朝時代に摂津国人の伊丹氏によって伊丹城が建築されたのがはじまり。1574年に織田信長の家臣・荒木村重によって攻め落とされ、有岡城に改称した。1578年に荒木村重は主君・織田信長に対し謀反を起こし、それを説得しようと有岡城に乗り込んだ黒田官兵衛は土牢に1年間幽閉されることとなった。後に有岡城は織田信長に攻められて落城することになる。
住所 兵庫県伊丹市伊丹1丁目12
アクセスJR・伊丹駅→すぐ
豆知識石垣、土塁、井戸跡などの一部遺構が残る。

レビュー

  • 荒木村重の摂津有岡城籠城戦では、寄せ手と城方が会話を交わし、食料の差し入れなども行ったという。そして有岡城では城方の砦の一角を調略で寝返らせることに成功した。悪口合戦は城方にとっては味方の寝返りのリスクがあるのである。

    1年以上前
  • 伊丹駅って、有岡城だったのな!

    1年以上前
  • 伊丹市で黒田官兵衛が幽閉された荒木村重の居城『有岡城』へ。荒木時代は主郭部・侍町・町屋の全体を堀や土塁で囲み、北・西・南に砦を配した惣構の堅固な城でした。織田信長からの攻撃に10ヶ月持ち堪えたのは立派です。今はその面影はありません。

    1年以上前
  • 荒木村重 (あらきむらしげ) 摂津国の地侍出身。主家の池田家の実権を掌握し、後に信長の傘下に入り摂津方面を攻略、摂津国の国主となる。石山戦争や紀州征伐で活躍するが突如として信長に背く。居城・有岡城1年程抗戦するも敗北、逃亡する。この間官兵衛を幽閉した。後に茶人として秀吉に仕えた。

    1年以上前
  • だし 荒木村重の正室で「今楊貴妃」と呼ばれた絶世の美女であったという。夫・村重が信長に謀反した際は彼と共に有岡城に立て篭るが、信長に攻め落とされた後、だしは他の荒木一族と共に皆殺しにされた。21歳の若さであった。

    1年以上前
  • 加藤又左衛門(かとうまたざえもん)重徳とも。摂津の豪族で荒木村重に仕える。村重が官兵衛を拘束した際はその牢番を務め、彼の世話をした。有岡城落城後は小西家などに仕え、その改易後は黒田長政に迎え入れられ福岡藩士となった。なお、次男の玉松は官兵衛の養子・黒田一成と名乗り別家をおこした。

    1年以上前
 

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04:55~ 05:21 11:57 18:33 18:59~