比企 能員
比企 能員(ひき よしかず)は平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。娘の若狭局が鎌倉幕府二代将軍・源頼家の側室となり嫡子・一幡(いちまん)を産んだ事から権勢を強めた。しかし比企一族の台頭を恐れた北条政子の父・北条時政と対立を深め、比企能員の変(1203年)が勃発し比企一族は壊滅した。
境内
- 比企一族供養塔
- 祖師堂横に建つ、比企一族の供養塔。
- 蛇苦止の井
- 若狭局が身を投げ自害したと伝わる井戸。若狭局は蛇身となり、井戸の中で家宝を守っていると伝わる。
- 蛇苦止堂(じゃくしどう)
- 比企の乱で、井戸に飛び込み自害したといわれる若狭局を祀る。
- 一幡之君袖塚
- 比企の乱で、6歳で死んだ一幡(二代将軍・源頼家、若狭局の子)の小袖(焼け跡から見つかったと言われる)を供養するために建てられた。
- 祖師堂
- 日蓮聖人(祖師)を祀るお堂。鎌倉最大級の木造仏堂建築。
- 前田利家室塔
- 前田利家の側室・千代保(三代・前田利常の母)の供養塔と伝えられる五輪塔。
- 源よし子(竹御所)の墓
- 4代将軍・藤原頼経の妻・源よし子の墓。二代将軍・源頼家と若狭局の子。幕府で唯一、源頼朝の血をひく者として尊敬を集めた。