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忍城

石田三成による水攻めを受けた事でも知られる「忍城(おしじょう)」。昔は沼に囲まれ、水郷のようであったと言われる。江戸時代には忍藩の藩庁が置かれ、明治維新の際に多くが取り壊されてしまった。現在は本丸跡地に天守閣の代わりに利用されていた御三階櫓(ごさんかいやぐら)などが再現されている。

水攻め

1590年、豊臣秀吉による小田原征伐の折、秀吉方の石田三成が忍城を攻めることになったが、城攻めは進まず水攻めの策に切ってでた。約1週間で延長28kmにおよぶ堤を築き、利根川と荒川の水を引き入れたが。城は沈まずに失敗に終わる。小田原城が7月6日に開城した後の7月14日に忍城は開城することとなった。この時の堤防は「石田堤」として今も一部が残る。

歴史

1478年頃地元の豪族であった成田正等・顕泰の父子が台頭し築城。
1553年北条氏康は忍城を攻めるが失敗。
1559年上杉謙信が関東に進出し、城主の成田長泰は恭順する。
1561年小田原城の戦いの後に羽生領の帰属を巡り上杉謙信と対立。
1563年上杉謙信に忍城を攻められ成田長泰は降伏し隠居。
1590年豊臣秀吉による小田原征伐の折、石田三成により水攻めを受けるが落城せず、小田原城落城後に開城。
1590年徳川家康が関東に入り、家康の四男である松平忠吉が忍城に入城。
1639年幕府老中の阿部忠秋が城主となり、忍城と城下町の整備が始められる。
1823年阿部氏が白河(福島県)へ移り、忍城には桑名(三重県)から松平忠堯が入る。
以後明治維新まで松平氏が城主となる。
住所 埼玉県行田市忍城
豆知識
  • 忍城や水攻めの話は映画「のぼうの城」のモデルになっている。

レビュー

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    行田駅
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    かつての忍城の俯瞰図。
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    バス停