アウシュヴィッツ強制収容所は、第二次世界大戦中、ドイツの占領地であったポーランドのオシフィエンチム市(ドイツ語名でアウシュヴィッツ)にあった強制収容所。アドルフ・ヒトラー率いるナチスが行ったホロコーストの象徴でもあり、最大級の惨劇が生まれた強制収容所。労働力の確保と民族浄化のため収容されたのは、ユダヤ人、ジプシー、政治犯やこれらを匿った者など。1943年のピーク時にはアウシュヴィッツ全体で14万人が収容されたと言われ、9割以上が命を落としたとされる。またアンネの日記で有名な
アンネ・フランクもここに収容され亡くなった。
負の世界遺産
二度と同じような過ちが起こらないようにとの願いを込め、1979年「アウシュヴィッツ強制収容所」として負の世界遺産に登録。2007年名称を「アウシュヴィッツ=ビルケナウ-ドイツ・ナチの強制・絶滅収容所(1940年-1945年)」に変更。
T字路の脇に大きな看板が立っている。オスヴィエンチム、括弧してアウシュヴィッツと書かれた、見落としようのない大きな字。道路に沿って線路が伸びており、かつて強制収容所に家畜運搬車両で強制輸送された、アンネフランクを含むユダヤ人たちの姿を彷彿とさせる。入場料は無料なのでそのまま門へと
~負の遺産としてしばしば挙げられるのは、原爆ドーム、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所、奴隷貿易の拠点であったゴレ島、マンデラ大統領が幽閉された島ロベン島など。2010年に登録されたビキニ環礁の核実験場も、負の遺産として報じられた。