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アンネ・フランクの家

オランダのアムステルダムにあるアンネ・フランクの家(Anne Frank Huis)は、「アンネの日記」で知られるアンネ・フランクの一家ら8人がナチスの迫害から逃れるため1942年から1944年までの約2年間、隠れ家として住んでいた家。建物自体は1635年に造られたもので、1960年にこの隠れ家を整備し「アンネ・フランクの家」として、一般に公開が行われる様になった。

アンネの隠れ住んだ家


アンネ・フランクはドイツ系ユダヤ人の裕福な家の末娘として生まれた。第二次世界大戦中、ナチスを恐れ、一家はオランダに移住し安穏な日々を送っていたが、1940年5月10日、オランダにドイツ軍が侵攻し占領していった。次第にユダヤ人狩りが行われはじめた。1942年7月6日、父オットーの職場の三階・四階を隠れ家にし、同僚のファン・ペルス夫妻とその息子のペーター、歯科医のプフェファーも加わり8人での隠れ家生活が2年続いた。しかし1944年ゲシュタポ(ナチスの秘密警察)に隠れ家が見つかり、アンネ・フランクらはアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所に送られ、1945年アンネは満15歳の若さで亡くなる。そしてこのユダヤ人8人の中で唯一戦後を迎えることができた父オットー・フランクの尽力により「アンネの日記」が出版され、世界的ベストセラーになった。
住所 オランダ アムステルダム

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