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箸墓古墳

見所

卑弥呼の墓説

  • 卑弥呼が亡くなった248年頃に近い3世紀の中~後半の古墳とみられている。
  • 卑弥呼の墓の大きさは「魏志倭人伝」に「卑彌呼死去 卑彌呼以死 大作冢 徑百余歩」と記述されており、箸墓古墳の円墳の直径「百余歩(約160メートル)」と同等。
  • 古墳の大きさから相当大きな権力をもった人物だと考えらている。

箸墓伝説(日本書記 崇神紀十年の条)

ヤマトトトヒモモソヒメは三輪山の神である大物主神(おおものぬし)の妻になった。大物主神は夜にだけヤマトトトヒモモソヒメのもとに現れるため、姿を見たいと願った。大物主神は本来の蛇の姿をみせたが、それを見たヤマトトトヒモモソヒメは驚き叫び、大物主神は去って行った。そしてそこへ倒れこんだヤマトトトヒモモソヒメは運悪く箸が刺さり亡くなった。

倭迹迹日百襲姫=卑弥呼説

①巫女である。②弟(崇神天皇は弟ではないが)が実務を行った。などの類似点から。ヤマトトトヒモモソヒメ=卑弥呼とする説もある。