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アユタヤ歴史公園

歴史

アユタヤ王朝

1351年にウートン王により建都されてから、1767年にビルマ軍の攻撃で破壊されるまでの417年間、アユタヤ王朝の都としてタイの中心であり続けた国際貿易都市。最盛期には現在のラオス、カンボジア、ミャンマーの一部を領有する東南アジア最大の都市へとなった。また山田長政(1590年~1630年)をはじめ、多くの日本人がアユタヤの日本人町で暮らした。

代表的な遺跡・施設

ワット・プラ・シーサンペット …アユタヤの3人の王の遺骨を納めた3本の仏塔を含む仏教的施設。
ワット・プラ・ラーム …初代王ウートンの菩提寺。
ワット・マハタート …太い木の根で覆われた仏像の頭部。、
ワット・ラーチャブラナ …王位継承争いで共に亡くなった二人の兄のために8代王ボロムラーチャー2世が建立した。
チャオ・サーム・プラヤー国立博物館 …アユタヤ王朝時代の美術品、遺跡から出土した品を展示。
チャンタラカセーム国立博物館 …アユタヤ王朝時代の仏像などを様々な品を展示。

アユタヤ王朝の滅亡

1767年にビルマ(ミャンマー)の攻撃でアユタヤの町は破壊された。タークシン王は復興をあきらめトンブリーへと遷都しトンブリー王朝を開いたが15年後、乱心した王を部下であったラーマ1世は処刑し。後にラーマ1世はバンコクにチャクリー王朝(バンコク王朝)を築いた。