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夢窓疎石ゆかりの地

お寺巡りなどをしていると良く目にする名前が夢窓疎石。鎌倉時代末~室町時代初期にかけての禅僧で、朝廷と幕府の両者から篤い崇敬を受けた。また作庭家としても有名な人物。 更新日:2015年10月02日

七朝帝師

夢窓 疎石(1275年~1351年)。鎌倉時代末~室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧。後醍醐天皇や足利尊氏など朝廷と幕府の両者から篤い崇敬を受け禅僧。また、作庭家としても有名。

夢窓 疎石(1275年~1351年)。鎌倉時代末~室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧。後醍醐天皇や足利尊氏など朝廷と幕府の両者から篤い崇敬を受け禅僧。また、作庭家としても有名。

歴代天皇から夢窓国師、正覚国師、心宗国師、普済国師、玄猷国師、仏統国師、大円国師と生前・没後あわせて7度にわたり国師号を賜与され「七朝帝師」とも称されています。

京都三名勝史跡庭園

南禅寺、西芳寺、天龍寺の庭園は京都三名勝史跡庭園にも選ばれています。
南禅寺

紅葉の名所として知られる南禅寺。1291年に創建され1325年には夢窓疎石が住職としてまぬかれた寺院。南禅寺の別院・南禅院の庭園は夢窓疎石が作庭したものとして知られています。

南禅院

亀山天皇が着工し、夢窓疎石の手によって完成したと言われています。

西芳寺(苔寺) 西芳寺(苔寺)

夢窓疎石は1339年に西芳寺の再興と作庭を手がけています。現在は境内が苔で覆われていることから苔寺の愛称でも親しまれていますが、当時は現在のような苔はなかったようです。

西芳寺を模して創建したのが鹿苑寺(金閣寺)と言われています。
天龍寺

足利尊氏が、かつて対立していた後醍醐天皇の菩提を弔う為に、1345年に夢窓疎石を住職に迎え建立した寺院。夢窓疎石が作庭した庭園は日本で最初の史跡・特別名勝。

京都の嵐山にある、世界遺産である「天龍寺」の紅葉を観てきました。赤や黄色に色づいた紅葉が映える日本庭園が素晴らしく、嵐山を借景して、まるで絵画のように美しい風景で、まさに、The 京都!、と呼ぶのに相応しいくらい感動的でした。
同じく夢窓疎石の勧めにより、足利尊氏、直義兄弟は後醍醐天皇ら戦没者の菩提を弔うため、安国寺を日本各地に建立しました。

庭園

永保寺

1313年に土岐氏の招きをうけ夢窓疎石と元翁本元が長瀬山の麓に庵を結んだのが始まり。

岐阜・多治見市の永保寺。作庭で知られる夢窓疎石の開創。その疎石自ら作庭の国の名勝庭園。観音堂(国宝)への無際橋は煩悩の世界と煩悩から解放された世界を結ぶ橋とか。さすが疎石。いい庭園だ。(笑)
“岐阜県多治見市の紅葉スポット、虎渓山永保寺。鎌倉時代に開創された禅寺です。このお寺は庭園が非常に美しいです。とくに好きなのは、六角堂の建つ岩の上から湧水の滝がしたたり落ちる風景です。”
瑞泉寺

鎌倉の花の寺、紅葉の名所としても知られる瑞泉寺。鎌倉幕府の重臣・二階堂道蘊が1327年に夢窓疎石を住職として創建。本堂裏の庭園は夢窓疎石の作庭によるもので、岩盤を削るなどして造られたもの。長らく埋もれていたが、古図面や発掘調査などで復元された。

瑞泉寺の夢窓疎石作の庭園。
国の名勝にも指定されていて
自然の岩山を削ってできた美しい庭園です。”
恵林寺

武田信玄が眠る寺院として知られる恵林寺。1330年に甲斐の守護職・二階堂貞藤が夢窓疎石を招き開山。夢窓疎石が作庭したといわれる庭園は国の名勝に指定されている。

“山梨の名勝巡りで外せないのが恵林寺。武田信玄の墓所。本堂裏の池泉庭園は、夢窓疎石が京都の苔寺や天龍寺より先に手掛けたと伝わる。ところが、ちょうど今、紅葉真っ盛り。どんなに素晴らしい石組も霞んでしまうほど、見事な彩り。”
等持院

足利尊氏の墓所であり足利氏の菩提寺。1341年に足利尊氏が等持寺の別院として夢窓疎石を開山として創建したと言われる。庭園は夢窓疎石が作庭したものとも伝えられている。

夢窓国師の庭園 等持院 京都

“等持院庭園。立命館大のすぐ裏手。名勝指定はされていないけど、夢窓疎石作とされる庭園は素晴らしいの一言!山梨で見た恵林寺庭園を思い出した。お寺も足利尊氏が開いた由緒あるお寺のようで。人が少なくゆったり見れて面白かった。”
“京都 足利将軍家ゆかり等持院。お茶室清漣亭を中心とする回遊式庭園があり。お庭をのんびりと散策できます。非常にまとまりのある整った空間。つつじと黄菖蒲がきれいでした。”