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叡福寺

聖徳太子の墓所とされる叡福寺北古墳があり、聖徳太子の母・穴穂部間人皇女、太子の妃・膳部菩岐々美郎女が眠っていると言われる。寺伝では、聖徳太子は27歳の時にこの地を墓所として決めたと言われ、621年に母・穴穂部間人皇后が没するとここに埋葬され、622年に没した聖徳太子その妃・膳部菩岐々美郎女も追葬されたという。その後、伯母にあたる推古天皇により、墓守りの住む堂を建てたのが叡福寺の始まりとされ、その100年後の724年に聖武天皇の勅願により七堂伽藍が建設された。
住所 大阪府南河内郡太子町太子2146

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