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四間道の町並み

説明

まろもんず   撮影 2015/08/12 14:00  1509 Views

名古屋城の築城は慶長15年(1610)に始まり、城下町の建設も同時に進められました。尾張の政治の中心地も清洲から名古屋へ町ぐるみ移転しました。これがいわゆる 清洲越(きょすごし)」 といわれるものです。この地区は清洲越商人の町として生まれ、堀川沿いには,水運を利用して米殻、塩、味噌、酒、薪炭などを城下町へ供給する商家が軒を連ね繁栄しました。四間道は元禄13年(1700)の大火の後 防火の目的や商業活動のため道幅を4間(約7メートル)に広げたことにより、その名がついたといわれています。四間道をはさんで。東側には石垣の上に連続する土蔵、西側には町家か建ち並ぶこの独特な景観は、元文年間(1740頃)に形成されました。堀川から荷を揚げた石畳や屋根神様そして子守地蔵尊など、下町情緒が今も都心に残る貴重な地域です。